ダイバーキリン 2023年

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お久しぶりです。gt,vo山中です。2023年あけましておめでとうございます。

毎度のことながら随分放置していたこのブログ、というかHP自体が放置の極みでした。

ダイバーキリンのウェブ全般を担当してくれていたのが2022年いっぱいで脱退したやんぬその人だったのですが私はこのブログ以外はほぼノータッチ、気づけばHPの更新も止まっておりました。みんな忘れんぼですいません。

HP以外のあれやこれやもやんぬから引き継がなあかんねぇなど会うたびに話してはいながらもノロノロ進まぬまま年が明けました。ダイバーキリンはいつも通りです。めでたいね。

今後はこのブログが紐づいているHPを刷新・単純化し、フリーのHP製作サービスをしても10分やそこらで削除に追い込まれるほどウェブ関連技術が泥の底の私でも管理出来るようにノロノロと準備をしてゆく所存です。

さて年初から言い訳スタートで恐縮ですが、久々に筆を執った次第、ダイバーキリンのこれまでとこれからのことを言葉に起こせればと思います。

最初期(2013〜2015)

2013年、私gt,vo山中尚之が大学3年生の1月、20歳のころにダイバーキリンは結成されました。当時のdr、兜金君と2人3脚で結成。baはライブ1回きり、という条件で同級生の女の子と男の子がそれぞれ1回ずつライブをしてくれました。(世にも珍しい男性3人ダイバーキリンの映像はYouTube探してもらえたらあります。あえてリンクは貼りません。)

2度のライブを終えた後、事実上の初代ba 草別が加入し、初期のダイバーキリンが完成します。当時は福島2nd lineや京都mojoばかりでライブしていました。面影無し。

最早幻と化した最初期のデモCDや隠れた良作?「蜃気楼のようだ」はこの頃製作。誰が持ってんねんやろ。私は持ってない気がする。(探せばあるのかしら)(PCにはある)

風がさわぐep(2015)〜忘れてしまうようなこと(2019)

山中のオルタナ思想と兜金君のポップ指向が分裂、毎週のスタジオがお通夜かと思われるくらい空気は悪化。2015年4月、兜金君脱退。山中と草別の強い意志によりバンド継続。

ウルトラなタイミングで出会ったやんぬ(当時モリヤンヌ)と、山中の大学の後輩 樋渡君のサポートドラム2名体制で再起動準備。2015年6月ハードレインでのライブ終わりと同時にやんぬ加入。サポート依頼でやんぬに送ったクソ長メールは語り草です。

やんぬ加入直後より音源の製作とレコ発自主企画の計画を立て、ダイバーキリンとしては初めてプレスした「風がさわぐep」をリリースしたのが2015年12月(YouTubeに楽しそうなレコーディング風景があります。あえてリンクは以下略)。同時に自主企画「きせつのかわりめ」を梅田ハードレインと京都nanoにて2ヶ月連続開催。我らながら凄まじいメンツが集まってくれて、両日超満員でした。両日酸欠で倒れる人まで(ほんとにすいませんでした)。界隈でチヤホヤされてるような気持ちになってました。

上記のレコ発大阪編に出演してくれた きみのいないたまご と急速に仲良くなる。「これはなんか一緒にイベントやろ!スプリット作ろや!」と盛り上がり、2016年7月「ワンルーム / チョコレイト part2」をリリース。急ピッチな作業スケジュールや、2バンド全員で当時のやんぬの家でたこ焼きパーティーしたり、ワイワイしていたのがとても楽しかったです。このアートワークはやんぬ。すごく良い。

その後も引き続きハイペースで企画、デモのリリース、企画、企画とバンドをギュンギュン回していきながら2017年4月にminialbum「海でもいい」をリリース。気合い入れて全国展開、そない売れるはずもなく、やけど今まで作った音源では一番手元から旅立っていった作品になりました。スーパーエンジニア、荻野真也氏の手腕におんぶにだっこ、今でも名刺代わりのようで思い出深いです。素敵なアートワークはコジマユイ。

そして2017年、念願叶って「りんご音楽祭」出演。オーディションから勝ち上がり気分は絶頂、オラオラー!!!みたいな気分の中突如浮上する「阪急淡路駅前で新築の2階が空きなんやけどなんか店とかやらんかね」という知人からの誘い。揺れるダイバーキリン。決心、見切り発車上等、代表者やんぬ・現場担当山中で店をやることを決意。ba 草別は不参加。バンド全員が参加するとバンドに影響が出過ぎる、そして住まいが遠いことから。

年が明けた2018年2月17日、cafe, bar & musicアトリをオープン。バンドも店もやりたいようにやりたいことやるんじゃー!!と意気込む2人の熱量と反比例し、この頃からba 草別が息苦しそうになってきていました。そんな中2018年の「りんご音楽祭」にも前年と同じくオーディションから勝ち上がり出演。出番はなんと最終日のトリ(いちばん小さなステージですが)。気分は最高!!!のなか、気づいた頃には最早修復不能状態までバンド内のバランスが崩れていました。並行していたレコーディングを経て、作業終了と合わせて2018年いっぱいでの草別の活動休止を発表。当時の編成最後のライブ、12/31カウントダウンの出番を任されるも山中爆飲酒によりほぼ記憶ナシ。撃沈。

迎えた2019年、山中の大学の後輩 まりい を半ば無理やりの勧誘により3月より活動再開。再開日がmini album「忘れてしまうようなこと」レコ発自主企画。個人的な悩みや体調、店、バンド内の雰囲気などが反映され暗い、そして切迫感と録音した時期による違いが漏れ漏れの取っ付きにくい作品に。今見ても最高のジャケット、撮影はスーパーカメラマン高本。全体のデザインはアトリの常連客 ボナさんに一任。超素晴らしいデザイン。ありがとう。(現在彼は 揺籃に路銀(ヨウランニロギン)というバンドをアトリ周辺の人々で結成、活動開始しています。難しいバンド名だね!)

リリース直後から気合いと決意の全国ツアー敢行。京都(レコ発)→大阪→岡山→広島→東京→松本→四日市→札幌→苫小牧→福岡→佐賀→京都→大阪(ファイナル)と、改めて書くとスゲエですが、1ヶ月ずつ各地方、という丸1年スパンでゆったり回りました。ツアーの開始と同時に(半ば強引に)まりい加入、草別の脱退。自発的な脱退というより、辞めてもらう形にしか出来なかったのが今でも悔い、悪いことしたなぁと思っています。めぐ元気かな。

このツアー中の6月、やんぬ結婚。姓が変わったことによりモリヤンヌ→やんぬへ正式?変更。11月、山中結婚。一気に既婚者が増えたバンドへ。

その美しさに涙が出る(2020)〜

翌年2020年、TVのニュースでダイヤモンドプリンセス号がどーちゃらこーちゃらなのを横目にライブと楽曲制作。思えば2020年の2月がba まりいの最終ライブになってしまいました。

3月、コロナ禍の本格化する一歩手前の頃に1st album「その美しさに涙が出る」レコーディング。ツアー中もガンガン生産し続けた8曲+カバー2曲の計10曲。録音は大先輩バンド、nayutaのプライベートスタジオにて。スーパー魔法使いエンジニア荻野真也氏とカメラマン3名(高本、湊川萌、やんぬ夫)と缶詰め2日間。勢いと気合い、集中と修行の1発録り(コーラス以外)。味を占める。

リリースやレコ発イベントを企画しつつ、6月7月に連続してやんぬ家と山中家それぞれの結婚ライブパーティーを計画している間にコロナ禍大爆発。4月以降のスケジュールが完全に白紙に。前年のハイペースなスケジュールが影響してか、ライブ活動を何より楽しみにしていたまりいがダウン。先の見えない情勢とスタジオワーク主体にならざるを得ない状況で完全に心が折れ、脱退。このころからやんぬの体調も本格的に悪化。一旦2人だけでスタジオに入ってみたりしつつ、準備していた音源をデジタルリリースに踏み切ることに。6月、「その美しさに涙が出る」をbandcampにて配信リリース。アートワークはコジマユイ。完璧。最高です。

新ベーシスト探しは難航するかと思いきや、コジマユイからの「やんぬと顔見知り、腕利きで、かついまどこにも所属してないイケてるベーシストおるで」という鶴の一声により 14(いよ)ちゃんと合流。初スタジオで参加を要請、テンションの上がった山中はいきなりその場で新曲を作り出す。

しばらくはサポートで、という形態で再始動。まりいの脱退が6月頭やったのに7月半ばには京都nanoへ出演。この頃はどこのライブハウスも出演者も判断が大変しづらい中、想像以上に早い再開ができて本当に助かりました。バンドのこと、店のこと、生活のことでいっぱいいっぱいの私を保たせてくれたのはライブをさせてくれたライブハウス、メンバー、妻、そして夕方のEテレ(おかあさんといっしょ、いないいないばあ、オトッペ、キッチン戦隊クックルン)、PS2のゲームでした。

コロナ禍の中、場所にも恵まれたダイバーキリンは新体制のもとほぼ毎月ライブが出来ました。その中、やんぬの体調は不安定に拍車がかかり、スタジオに出てこられる頻度がまちまちに。それでも、ルーティンやモチベーションを保つためにも毎週のスタジオや14参加後も出来続ける新曲製作のペースは継続しつつ、落とせるところは落とそうとライブ活動の頻度を少しスローダウン。結果全員にとって無理のない活動量になったと思っています。

とはいえ情勢は行ったり来たりを繰り返し、決まったライブが無くなることも多々。悲しいかなそういったスケジュール変更にも少しずつ慣れながら2020年から2021年へ。メンバーそれぞれの事情や体調に合わせて、今に至るマイペースなダイバーキリンに。しっかり時間をかけて楽曲制作に向き合うようになり、前作から匂い始めていたアンサンブルの複雑化が進行。難易度が跳ね上がる。

「せめて、、、せめてひとつはどこかへ遠征したい!!!」という嘆きにも似たツイートをしたおかげで2021年11月に久々、そして5度目の北海道ツアーが決まる。14が帯同しての初遠征。苫小牧での共演者が軒並み若く(最年少で18歳くらい)、既に大阪の若手バンドではないことに気づく。直前に14仕事を辞める。ウルトラ超漆黒な環境やったみたい。よかったね。(帰りの関空にて。この写真いいよね。)

newest dvrkrn recorded at Cold Turkey in 2021-2022(2022)〜

この前後より毎週の練習で堺東のCold Turkeyを使うように。コジマユイのお父上のスタジオです。「簡単なんだけ!!デモとかゲネプロとかのつもりやで!!」と言われつつお願いしてレコーディングを都度都度行わせてもらうように。2021年から2022年にかけて製作したのが「newest dvrkrn recorded at Cold Turkey in 2021-2022」。このながーーーいタイトルは敬愛する京都の大先輩、シゼンカイノオキテの名盤、「Newest Archive Of Sizenkainookite 2007-2011 vol.1」より拝借。CD用の封筒に入れてパッケージしたのは同じく敬愛する京都の大先輩、my letterのデモシリーズより。録音では前作で味を占めた1発録りを続行。飛躍的に楽曲の難易度が増したため心折れるかと思いました。がんばった。2022年2月、14結婚。これにて全員既婚者に、かつそれぞれの住まいが淡路-富田林-六甲と関西圏の中でバラバラ、関西中距離バンドへ。練習場所を中津に移す。やんぬの体調を考慮し1, 3月はライブをおやすみし、4〜5月のライブに向けて制作&ビルドアップ。3月、14が正式加入。

5月の自主企画当日、やんぬから2022年いっぱいでの脱退の申し出が。もともとは2021年いっぱいでやんぬ活動休止、とかも検討していたそうやったんですが、体調の良い時/悪い時の波が読めず決めあぐねていたそう。ただ2022年の春以降は病院や薬のマッチ、生活リズムの変化や農業も相まってか、私たちからみても飛躍的に復調しているようにみえ、本人も寛解を宣言するまでになりました。ほんとによかったね。その上で今後の人生の指針をバンドから農業に移すという、恐らくやんぬ自身も予想だにしていなかったであろうモチベーションの変化、そしてバンドの楽曲の難化に伴い、年内での脱退を決意したと聞きました。

ここからは作り溜めた曲たちで年内もう1枚リリース、いいタイミングでオファー頂いた各所のイベント、自主企画とすごくいいペースといいタスク感、いい空気感で活動することができました。出会ったころにはまさかここまでの長い付き合いになるとは露ほども思わず(そりゃそうか)、まさか店を一緒にやることになるとは(そりゃそうだ)、最早バンドメンバーとか友人の枠を超えた親族に近い間柄になってしまいました。脱退を告げられた時はやはりそれなりに食らうものがありましたが、よくよく思えばこんなにも円満でスムーズ、あとぐされのない脱退があるのかとちょっと楽しくなってしまい、5月以降のバンドの空気はなにかひとつ荷が降りたような開放感さえありました。誰からともなく「やんぬの卒業」みたいな言い方をしてもらえたのがばっちりハマりましたね。

そんなこんなでやんぬ最終レコーディング、前作と同じく堺東Cold Turkeyにて。同じく修行のような1発録り。恐らく過去最高難度、ヘトヘトになりつつ5時間で録り切り、えも言われぬ達成感。完成。「newest dvrkrn recorded at Cold Turkey in 2022-」。山中の強い要望によりシリーズ化。10月からこっそりリリース。やんぬの脱退(卒業)が決まってからは各方面から素敵で思い出深いイベントに呼んで頂けて嬉しかったです。ダイバーキリンの心のホーム、扇町para-diceと、京都nanoでそれぞれ大阪/京都のラストを迎えられて本当によかった。

https://youtu.be/LvN5mYai_Ug やんぬの勇姿。ラストや言うてんのに新曲を作り演奏する狂気(主に山中)。旧曲だってアレンジしちゃう。nanoがアーカイブしてくれています。投げ銭もぜひ。

やんぬがダイバーキリンに在籍していたのは7年8ヶ月ほどだそうです。これまでのメンバーの中で圧倒的な期間。扇町para-dice、京都nanoをはじめ、全国各地のライブハウスや敬愛するばかりの先輩バンドマン/ミュージシャン、友だちなど彼女が繋いでくれた場所や人の縁、音楽面だけではない各方向への感性やアンテナ、その人柄が今のダイバーキリンを形作りここまで連れてきてくれました。こんなに可愛がってもらえるバンドになるなんてねえ。なんだか解散しそうな文章の流れですが、ダイバーキリンは続きます。

ダイバーキリン結成10周年(2023)

さて、2023年を迎えてちょうど1週間というところのこの頃。正式な日付までは覚えておりませんが10年前の今ごろ、私山中は初代ドラマー兜金君が当時住んでいたマンションでbloodthirsty butchersやサニーデイサービス、GREAT3やレミオロメン、bonobosなんかを聞いながらあーだこーだバンド名会議をしつつダイバーキリンを結成しました。「30歳の1月になったらバンド結成10周年やな、覚えやすい」と当時から考えていたのを覚えています。そして本当に迎えた30歳の1月、結成10周年。早々にオリジナルメンバーは自分ひとりとなり、長年連れ添ったメンバーは卒業、7年8ヶ月ぶりにgt,voとbaのふたりになりましたが感慨に浸っている場合ではありません。ライブします。

2/5(日) 京都nano

nano19周年月間 第0話

「JADE BOX5」

出演者

ZOOZ / ダイバーキリン / BEETHOVEN FRIEZE / SuperBack/ bud&harbor / THE MYHALLEY II / Pines. / 藤山拓 / 孕ませの翁 / 竹崎彰悟 / ゾッキ

13:00/13:30

¥2500/¥3000 (各+1d)

京都音楽シーンの名物奇人(鬼人)、のりさんの恒例企画に呼んで頂きました。やんぬラストも京都nano、新体制も京都nano。どこが大阪のバンドやねん。我々は2日目のイベントにお邪魔します。すごいラインナップ。

この日からのドラムは京都で活動していたpleetz(2022年7月に活動休止)のドラマー、なほちゃんがサポートしてくれます。実は9月ごろからゆっくりとスタジオワークを始めていたんですが、まっすぐでのびのびとした彼女のドラムが少しずつダイバーキリン的な捩れ/捻れ/拗れを起こし始めています。悪の道に引き込んでいるようで楽しいです。お楽しみに。

その後も、まだ未確定情報が多いのですが3月尼崎、4月大阪とコンスタントに動く予定をしています。なにせ10周年イヤー、出来ることに限りはありますが画策だけはアレコレしています。ぜひお付き合い頂けると、各地でお会い出来るとなにより嬉しいです。

長い文章になってしまいました。ここまで読んで頂きありがとうございます。こういう回顧録的な文章はこれまでにも何度か書いてますが、読んでもらうというより、自分自身のための忘備録のような気持ちになります。時間が経てば忘れるし、お酒を飲んでも忘れてしまうのでたまにはこうやって言葉にしたほうがいいのかも、と、歌詞を書いている時にも思うんですけど。ひとまず、2023年1月初頭、ダイバーキリンのこれまでとこれから、というわけでございました。

今年もよろしくお願いします。

山中ジョンジョン尚之

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